蜀の最後は人手不足
赤壁の戦いでも大活躍した、三国志の蜀軍ですが、三国の中では一番最初に滅んでしまいます。
その原因は人手不足でした。
夷陵の戦いから進む人手不足
夷陵の戦いは、関羽の仇討ちのために呉へ攻め込む戦いなのですが、士気が上がりすぎ、大きく敗北してしまいます。
五虎大将軍と言われた
張飛、黄忠はこの戦いで亡くなっており、優秀な文官の法正も戦いの前に亡くなっていました。
法正居なきゃ、内政誰がやるねん!と言うことで、孔明も戦いに参加出来ず、結果は大敗北。
気を落とした劉備も、病によって亡くなります。
まだまだ人手不足に
残った五虎大将軍も、
ちょっと目をかけた馬謖は、若すぎて調子に乗って失敗し、打ち首となりました。
人材の補給と北伐
北伐中も、さすがは孔明。姜維といった名将を得ることができました。
しかし、劉備の大義に募った、かつての仲間は老いて亡くなり、孔明の居ない内政は乱れました。
内政の問題があると、北伐中の孔明は戻ることになり、
逆に孔明が国を離れると、信頼できるものが内政を行えないので、食料問題などが起こり、思うような遠征ができませんでした。
孔明の死
孔明の死によって、完全に蜀は割れてしまいました。
遠征派と、国内での反遠征派が分かれ、遠征軍内でも派閥ができました。
こうなっては組織も上手く回りませんでした。
蜀 衰退の考察
うーん
孔明は、男気溢れる北伐を繰り返しました。
その数5回(5戦5敗)
いやー無理有りますよね。
その間、呉や魏は国力を蓄えます。
人口を増やし、兵力を増やし、兵糧を増やせました。
逆に北伐を繰り返す度、蜀は兵士や食料を消費してしまいます。
魏の司馬懿(北伐の際に孔明と戦った、魏の軍師)も、後半は陣から出ない、攻めないという防戦に徹します。兵力も兵糧も勝るなら、防戦が最も被害が出ないと察したんじゃないでしょうか。
個人的には姜維という、名将を得た時点で益州(山ばっかりの田舎で、逆に攻めづらいとされていた)に引きこもり、次世代の教育に励むべきだったのかなと思います。
まとめ
理屈上は、無謀な北伐だったのかもしれません。
ただ、劉備の意志を受け継いだ孔明、その意志を受け継いだ姜維の徹底交戦は、理屈以上のかっこよさを感じます。
過去も現在も、人手不足は大きな問題ですね。過去から学び、衰退しない道を見つけられたらいいな